No.70 『患者と話すところから始めてみる』
「何か気を付けていることはありますか?」
私は患者さんと歩行練習をする前にこのように聞くことがあります。患者さんがどのように語るかによって、何に対して注意を向けているかを知る事ができるからです。例えば、「足が引っかからないように歩いてます」みたいに遊脚期の足部に対して注意を向ける患者さんや、「左足が弱いから転ばないように気を付けます」のような出力に対して注意を向けている患者さん、「うまく歩けるように頑張ります」など抽象的な表現をされる方もいらっしゃいます。
そこでもう一段階
「そのためにはどこの関節(部位)がどのようになれば、うまく行けると思いますか?」
と、より身体部位を焦点化させて注意を向けさせることをよくやります。そうすると患者さんは考えます。自分の歩いている姿を想像します。うまく想像できない方は急に歩きだそうとします。患者さんの語る内容が実際の歩行戦略と一致している場合もあれば、そうでない場合もあります。
もう一つ
「踵は歩くときに重要ですか?」「股関節は歩くときどのように動いてますか?」
次は患者さん自身ではなく、セラピストが注意を向けてほしいところに対して問いかける事もします。この問いに対して、患者さん自身が新たに身体に注意を向けて発見する事もあれば全く重要ではないと語る場合もあります。すべてのやり取りの中で患者さんの表情や返答までの時間などから思考を推測していきます。
最後に
「それではあなたが今言ったことが実際そうなのか、歩いて確認してみましょう」
と歩行練習を開始して、本人が語った歩行のイメージや身体に感じる情報の予測と実際に行った結果に対してどのように語るかを確認します。
高見 宏祥 TAKAMI HIROAKI
新札幌パウロ病院
認知神経リハビリテーション学会 地域代表
北海道認知神経リハビリテーション研究会 副会長
2013年NCR Master course修了
人間の行為の回復をテーマに、回復期リハビリテーション病棟に勤務しながら臨床実践を学術集会や研修会にて多数報告している。
No.69 『訪問における認知神経リハビリテーション』
認知神経リハビリテーションは在宅(訪問リハ)でどのように貢献できるでしょうか?
平成27年度の介護報酬改定で「活動と参加に焦点を当てたリハビリテーションの推進」の方針が出されました。介護保険のリハビリテーションは、身体機能訓練に偏りがちなアプローチから活動・参加を重視するアプローチへと変革を求められています。活動・参加の拡大により対象者の在宅生活・QOLが向上することは非常に重要なことです。
しかし、在宅で「麻痺した手が動くようになりたい」「装具をしないで歩きたい」という思いには誰が応えれば良いのでしょうか?
訪問リハでは発症後、数年経過しても上記のように機能回復を望む方を担当します。制度が変わっても、対象者は自己の身体機能の回復を望んでいることをセラピストは忘れてはいけないと感じます。
先日、発症して18年経過した左片麻痺の方(独居)を担当しました。動作時に左半身の異常な伸張反射や放散反応がみとめられ、歩き方は体幹を右に傾けて左下肢を投げ出すように接地、バスの昇り降りで転倒があるため外出を控えていました。「周りには介護タクシーを勧められるけど…今までのようにバスを利用したい」と希望があり、体幹の正中性や、体幹と下肢の位置関係を認識するため空間課題の訓練を実施しました。1ヶ月後(介入4回)には動作時の異常な伸張反射や放散反応を制御し、歩行時に正中性を保ち左下肢をゆっくり床に接地して歩けるようになり、バスでの転倒がなくなりました。「体がまっすぐだと力を抜いて歩けるし、やっぱりバスに乗るのはいいね」と、身体機能の向上によりバスの利用頻度が上がり、活動・参加の拡大につなげられました。
この方の外出の実現には「バス」「介護タクシー」大きく2つの方法がありました。代替方法や環境調整により活動・参加を促すことも1つの手段ですが、その手段で達成することは対象者が求めていたものと同じなのでしょうか?目に見える活動や参加は向上しても、目に見えない身体機能が置き去りになるという事態を避けるために、我々セラピストは重要な使命を担っています。
対象者の思考・思いにセラピストが寄り添い、身体を介して一人称の記述に向き合う認知神経リハビリテーションは、在宅で対象者の回復や幸せに貢献する有効な手段であると感じ、日々臨床で試行錯誤しています。あなたは対象者の思いに寄り添って治療していますか?
竹中 準 TAKENAKA HITOSHI
新札幌パウロ病院 訪問リハビリテーション事業
作業療法士、認知神経リハビリテーション士(2014年度マスターcourse修了)
NCRH札幌支部staff。訪問リハに従事し、脳卒中や整形外科疾患、神経難病など幅広い対象者に臨床展開している。札幌を中心にNCR普及に向けた講師活動を行う傍ら、多職種も含めた地域の研修会で講話やコーディネーターを担うなど、その活動は多岐に渡る。
No.68 『生活期における「認知」』
生活期における「認知」 ~知ることができる、知ることが出来ない~
生活期に関わらず、超高齢化社会におけるリハビリテーションにおいては、複合疾患症例に対峙することになる。介護報酬は一昔前の介入時間単位中心から、包括的な「リハビリテーションマネジメント」に対して支払われる仕組みにシフトしている。同時に、地域包括ケアの考え方によりタイムリーなサービス提供が求められている。介護保険制定時より掲げられていたにもかかわらず、いつしか埃の被っていた自立支援という理念を基にした介入を強調せざるを得ない状況なのである。
セラピストはICFにおける活動・参加面により重点を置いた介入と結果の評価が求められている。活動・参加面に対しての介入として、環境やコミュニケーションの工夫による動機付けや、直接的指導・助言、地域資源の開発・情報発信の重要性が説かれており、セラピストはその最前線に立たなければならないのは当然である。
その一方、活動・参加レベルに心身機能・構造が影響を与えるという相互依存的、根治的な考え方は陰に隠れつつある。それは暗に構造の変化や機能障害が「治らない」「治る確率が低い」、あるいは「治療方法にエビデンスが無い」「治るのが遅い」と言う未完成なフィルターに除外されているようにも思える。
確かに、前述の通り、生活期におけるリハビリテーションを達成するには、自助・互助へのシフトとその速さが求められている。それが達成できなければ国民総倒れである。地域では、見えない回復への挑戦などと流暢な事は言っていられないのである。
だからこそ、認知理論を基にした治療的運動では、回復の予測を立て、訓練により検証を行う。セラピストは回復予測材料としてのプロフィールを細かに観察し、自らの介入によりクライアントが何を経験し、いつまでに、どのレベルで自律性を伴った行為が創発されるかを想定する。
認知理論は人間が行為をする仕組みを基にした理論であり、筆者は他の理論と共存し応用できると考えている。「認知」と言う単語の意味は「治療手技の名称」ではない。変えられるものと変えられないものを適切に識別する知恵を与えてくれる言葉、複雑系に対応するための柔軟な思考を与えてくれる言葉と筆者は表現したい。
自分の身体が「わからない」不安や痛み、絶望。認知症者が言う「わからない」、実習生が言う「わかりません」、他職種連携における「わかりません」。これらの事象に、方法ありきではなく、理論を応用できないだろうか。
中濵 雄太 YUTA NAKAHAMA
訪問リハビリテーション西堀
理学療法士、認知神経リハビリテーション士(2013年master course修了)
回復期・一般・療養病棟勤務、通所リハ勤務を経て現在の訪問リハ業務に就く。北海道認知神経リハ研究会函館支部の運営に携わる。
No.67 『認知神経リハビリテーションを地域へ広める』
7月から認知神経リハで治療する特化型デイサービスの管理者として働いています。回復期リハ病棟で勤務していた時に退院した患者さんが皆口々に地域でのリハビリへの不満を述べており、いつか地域で認知神経リハの治療が受けられる場所を造りたいと思っていました。
デイの壁には研究会のセミナーで使用したポスターやイタリアのマスターコース、昨年のメソッド・テクニカルコースを受講した時の修了証を掲げています。一人の利用者さまがその修了証に興味を示され、「具体的にどのような治療法なのか教えてくれますか?」と声をかけてきました。その時は治療を通して認知神経リハについて説明をしました。「こんなリハビリは初めて体験しました。」と、認知神経リハの治療を気に入ってくださり、「僕が通っている患者会のメンバーにもこの治療を教えたいです。」と、その方が通っているパーキンソン病の患者会メンバーの方を紹介してくれました。患者会のメンバーの方も認知神経リハに興味を持ってくださり、8月のベーシックコースに招待させていただきました。
僕が初めてベーシックコースを受講した時には内容が難解であると感じ、さっぱり理解が出来なかった経験があるので、一般の方がセミナーを受けて理解が出来るだろうか…と一抹の不安はありましたが、結果的には「時間があっという間に感じました。」、「今までリハビリに抱いていた疑問が解決したように思います。」と言ってくださり、更に興味を深めていただけたようです。
コース中、その方とお話をする機会があったのですが、通っている外来リハでは担当のPTが「この運動をやってください。」と体操を教えてくれるだけで、その運動が何に効果があるのか説明もないため、疑問を抱きながらリハビリを受けていると話されていました。そして、その方は「リハビリは私たちにとって夢なんです。」とも言っていました。対象者の夢を担う私たちセラピストの責任は重大であると改めて感じました。患者会のメンバーの方々は11月の学術集会にも来て下さるとのことでした。
地域で働き始めてまだ3か月弱ですが、たくさんの利用者さまと関わらせていただいています。また、今回の出来事のように今まで出会うことのなかった方々との繋がりも出来ました。病院で働いている時には想像もしませんでしたが、地域ではたくさんの人々がリハビリを必要としています。リハビリが夢であるならば、その夢を叶える手段の一つとして認知神経リハが地域に広まっていくことを願っています。
横山航太 KOTA YOKOYAMA
オーダーメイドリハビリデイえみくる石山 管理者兼作業療法士。2013年度マスターコース修了、2016年に認定作業療法士を取得。現在は特化型デイで認知神経リハを中心に地域の作業療法を展開している。
No.66 『イタリア認知神経リハビリテーションの研修について』
イタリアで研修しているときの出来事について、お話ししたいと思います。
私は2015年から2016年の1年間イタリアで研修を受けてきました。1年の前半は小児について、後半は成人の失語症について学んできました。
ある日感覚性失語症の訓練を見学しているときのことです。認知神経リハビリテーション士で言語聴覚士のアンナ先生が、患者の目の前で「絵梨、患者と同じ訓練を受けてみなさい。」と言われました。私はアンナ先生の言われた通りに訓練を受けました。訓練課題の難易度は私でも理解できるものでした。私が訓練課題を答えていると、患者は涙を流しました。そして「自分は日本人よりもイタリア語が話せない」とアンナ先生に悔しいと訴えていました。この感覚性患者は、病識はあるが病覚が乏しい患者でした。私は驚きました。何故なら失語症患者は私よりイタリア語が話せると思っていたからです。
病識は病気だという認識、病覚は病気がどの様な症状か感じ、解る自己身体内感です。つまり患者は失語症で言葉が出てこない病気だという事は認識していて、しかし失語症で何が困難で、何に気を付けるべきかが自覚(病覚)してなかったことになります。
この日訓練が終わったときに、アンナ先生がこう私に言いました。「明日からあの患者は強くなるわよ。」次の日患者は、訓練に対する学習意識が変化していました。とにかく自分の言語について知ろうしていました。それからは言語機能の改善は、以前より加速しました。
今現在の私の臨床は病識と病覚について、考え治療を展開する厳しさをもつようになりました。患者は「足が思う様に動かない、手が上手く使えない、言葉が話せない」といいます。私は患者に、それらの症状がどの様なとき、どのような感じで表出されるのか、気付かせ自覚してもらいます。それは患者にとっては気づきたくはない、ネガティブなところなのかもしれません。しかし病覚がないと患者は何を学習しなくてはいけないのか解らないし、訓練での改善の為の差異が見つけられないのです。セラピストはネガティブからポジティブに改善できると予測し訓練を行う。予測がない状態で患者に細かな症状の自覚をさせただけでは、悲しい現実を突きつけるだけになってしまいます。訓練での差異はネガティブでありポジティブでもあります。皆さんは訓練を行う時、病識と病覚について考えたことはありますか?
木村絵梨
木村 絵梨 ERI KIMURA
札幌渓仁会リハビリテーション病院勤務、言語聴覚士で認知神経リハビリテーション士。
2013年マスタコース受講。本邦で言語聴覚士として初のイタリア研修を経験し、現在は研修で得た知識を臨床で展開している。
No.65 『学び~imparare~』
「リハビリしても治らないんだ」
国家試験合格後、理学療法士になった私が直面したのは現実と理想の乖離でした。「リハビリをして患者さんを治したい」と思い描いていた理想と現実はかけ離れており、関節可動域訓練・筋力訓練・立ち上がり訓練だけでは期待・予測していた治療効果が出るわけでもなく、自分の臨床に自信を持てない日々を過ごしていました。
そんな中でNCRに出会い「こんな考え方があるんだ、今までの考え方とは違うな」とこれまでやっていたリハビリとは違う観点に触れ、始めて参加した札幌支部勉強会では難しいと感じる反面もっとNCRを学びたいと感じました。それからの私は毎月の支部勉強会、インフォメーションセミナー、BASICコース、ブラッシュアップコースと市内のNCR勉強会に行けるものはすべて参加し、学んだことを臨床で取り入れ実践し、それでもうまくいかなくてまた勉強会に参加する日々を繰り返していました。
Basicコースには何度も参加していましたが、もっと学びたいと考えNCRを学ぶ仲間と2015年Advanceコース・2016年Masterコースに参加することを決めました。Masterコースはイタリアという海外の研修のため決断には勇気がいりましたが、今となっては人生全体でみても大変いい経験をさせて頂きました。切符一つ買うのでも戸惑いや不安があり「失語ってこんなに苦しいのか」と患者さんの気持ちを考えさせられました。Masterコースでは行為間比較・多感覚統合についての座学や実際の患者さんを見学し、どのような治療を行うか検討しあうグループワークがありました。NCRで研究をしているイタリアの先生方の生の講義や全国のNCRを学んでいる方々と触れ合い、自分になかった新たな観点を学ぶことができ、行けるのであれば毎年Masterコースに参加したいと思うくらい大変勉強になりました。
皆さんも少なからず、日々の臨床場面で悩むこともあるかと思います。そんなときは支部勉強会や各コースに参加し、講師の方々から臨床でのヒントや明日からのエネルギーを持ち帰り、実践してみてはいかがでしょうか。
小杉田 瞳
札幌西円山病院 理学療法士
全国のNCRの講義に多々参加し、2016年Masterコース受講。その後札幌支部の運営に携わり、広報活動を中心的に行っている。CVA・神経障害疾患を中心に興味・関心を持ち、回復期分野でNCRの臨床展開を行っている。
No.64 『新しい生活を作っていくこと』
私が働いている回復期リハビリテーション病棟。今までの身体が大きく変化し、今までの生活も大きく変化してしまいます。それは患者自身だけはでなく、家族など周囲のひとたちも変化せざるをえません。これからどう生活していくのか…。そんな時期に私は、どんな治療が提供出来るのか?環境をしぼって、その環境を設定し反復訓練をし続ける。生活する範囲をしぼって、その生活範囲だけで生活していく。一見早期に回復していくようにみえますが、本当に回復なのだろうか?と考えます。
装具装着下での歩行。装具療法も歩行という行為の学習に必要だと思います。装具がないと歩行出来ないと…では入浴の時は?夜間のトイレは?と考えると足底からの触圧覚や膝や足部の運動覚情報を考える機会も必要になるのではと考えています。
今までどういう生活を送ってきたのだろう。どういう役割をもって、楽しみをもって生活してきたのだろう。「こんな状況じゃ、今までの趣味も出来ない。楽しみなんてないよ。食べて寝るだけだ。」私達の生活も決して食べて寝るだけじゃなく、何をして過ごすか、誰とどのように過ごすか、色々な思いをもって生活していると思います。
日々の臨床で、「こういう風に動いてください」から「どう動いたらうまくいくと思いますか?」へと問いを変えてみる。この問いで、今までの患者さんとのやりとりに変化が出てきます。治療に必要なエッセンスを患者さんから教わることも多くあります。少しずつですが、自分の身体に向き合う時間を作っていくことになるのではないかなと考えています。
そんな日々を積み重ねることで、自分の自由な意思に基づいた多様な行為の獲得に繋がるのではないかと思います。それは患者さんの選択肢が増えることに繋がり、新しい生活の選択肢も増えるのではないかと…。日々の臨床は上手くいかないことも多く、悩むこともt沢山あります。支部勉強会は悩みを解決し、新しい解釈や治療方法を考える・得られる貴重な場となっています。今後もマイペースにコツコツと勉強。少しでも新しい生活の幅を広げられるセラピストになればばと思っています。
函館稜北病院
菅原紘子
No.63 『日々是好日』
作業療法士免許を取得して就職すると内容面や価格面ともに様々なセミナー情報に接します。徒手的なスキルを身につけるものから知識を深めるものまで数え上げたらきりがありません。 私は数多あるセミナーのなか、北海道作業療法士会主催の講習会に参加して、初めて認知神経リハビリテーションに出会いました。
その時の印象は、“なんだか面白そうな考え方だな”と思いました。
その年の北海道ベーシックコースは既に終了していたので、来年こそは絶対に行こうと心に決めて、NCRHホームページを月に一度はチェックするようになりました。翌年、ベーシックコースに申し込み、勇んで教育文化会館に行きました。そこで、ある講師の先生が投げかけた言葉に呆然としました。
「患者さんにとって回復とはなんですか?」
「装具をつけて歩けるようになったら…自助具を利用してADLが自立したら…それは回復ですか?」
その言葉を聞いた時、養成校を卒業後、老健に就職し、右も左もわからず、ホットパック→可動域訓練→巧緻動作訓練や歩行訓練を実施していた私の日常はなんだったのだろう…?そんな思いが頭の中をかけめぐっていました。今までの臨床感が足元から崩れていく音が聞こえたような気がしました。
ベーシックコースを境に私はこのままじゃダメなんだ、なんとかしなきゃいけないんだ、そう思うようになりました。その思いを解決する手立ては不明のままでしたが…。その“なんとかしなきゃ”の気持ちで、アドバンスコースやマスターコースを一気に参加しました。本場イタリアの緻密な臨床を知れば知るほど、自分がいかにざっくりとしか患者さんを診ていないかを思い知らされました。ベーシックコースに参加するまでは、外部の勉強会があっても、なかなか参加する勇気を持てなかった私ですが、札幌支部の勉強会に勇気を出して参加し、色々な先生とお話しする機会を持つことができました。
あのベーシックコースの言葉は確かに、重たいものでしたが、そのおかげで色々な出会いや経験を得ることができた、貴重なものでした。そして、マスターコースは到達点ではなく、出発点であることを、日々感じながら臨床に取り組んでいます。
医療法人愛全会 愛全病院
木村由華
No.62 『イタリアの臨床とリハビリテーションカルテ 』
2011年のマスターコース参加後、いつか長期間イタリアで研修したいという漠然とした夢を持ちながらイタリア語の勉強を始めた。イタリアへ行く決心がつき、2016年4月にイタリアに渡った。フィレンツェで5ヶ月間語学校に通ったあと、7ヶ月間サントルソにある認知神経リハビリテーションセンターで研修した。日本では経験できな
い貴重な素晴らしい一年だった。
イタリアでは訓練において行為間比較を基礎とした、他感覚統合が当たり前のように実践されている。私にとって母国語ではない言語での研修は、想像以上に困難だった。特に言語による理解が不十分なため、新しい知見を自分の経験として得ることに苦労した。それでもイタリアのリハビリテーションカルテをもとに、先生や研究生の指導のおかげで臨床思考の流れが少しずつ理解でき
るようになった。
カルテの流れは、改善すべき行為の回復のために訓練がどのような過程を経て成立するかを物語るように構成されていた。このリハビリテーションカルテを書くのはイタリアの研究生でも容易な作業ではない。研究生は担当する全症例分のリハビリテーションカルテを書いているわけではない。しかしカルテを書き、仲間や先生方とのディスカッションを重ねる経験をしていた。そのためカルテにまとめなくても、常に臨床場面でその思考ができるのではないかと感じた。また、症例に対して仮説検証する努力を怠らない姿勢にはいつ
も圧倒された。
多くの場面で何度も仮説や推測が不十分だと指導を受けた。それでも日々の臨床見学において、観察から仮説を立て訓練を考えた。それを担当セラピストに説明しアドバイスを得て、実際に患者さんとの訓練を行った。しかし上手くいかないことの繰り返しだった。担当セラピストと自分の考えた訓練の違いは何かという宿題をもらうこともあった。訓練をする上での困難さは言葉の壁ももちろん大きかったが、それ以上に考えた訓練と改善したい行為との整合性が不十分なことが多かった。また患者さんにとって指向性のある訓練や行為間比較に導くための
流れも臨床を通して学ぶことができた。
今後は日本の臨床において、仲間とともにリハビリテーションカルテを通して仮説検証を繰り返し、イタリアでの学びを自分の経験知
として積み重ねていきたい。
ながさわ整形外科
新開谷まゆき
NO.61 経験
「楽しいこと」、「辛いこと」、「嬉しいこと」、「悲しいこと」、
様々な情動日々繰り返されています。
例えば、
日々の業務の中で学生から思い描いていた
セラピスト像と現在の業務に違いを感じ、
「こんなはずではなかった」、「仕事するのが辛い」と思っている方、
そしてそのような経験をしたことがある方は多いのではないでしょうか。
思い描いていた青写真は綺麗で希望に溢れています。
しかし、 現実には様々な干渉があり、多くの経験をすることになります。
その差は「辛い」、「悲しい」の情動に繋がり
精神的な訴えに症状として出現します。
精神的な訴えは科学的に考えると、「脳」を紐解くことに繋がります。
「心はどこにあるのか?」、「何故、左側の胸が苦しくなるのか?」、
情動は経験と予測そしてまたその経験に関与しています。
そうであれば、その経験をしている方は、
新たに経験をする可能性がある人の情動を予測することが可能なはずです。
仕事をしていく上で、クライアント、対象者と経験について
記述することも多いセラピストという役割。
その役割を担う人間だからこそ、
その仲間には一段とその経験を良き方へ導き出して欲しいと思います。
「ゆとり世代」この言葉で片付けるのではなく、
その寄り添う言葉こそがリハビリテーションセラピストに
必要な要件ではないでしょうか?
リハビリテーションを進める中で、
情動は治療手段として必要な要素で、
経験と記憶が関与し行動(行為)に繋がります。
セラピストとの関係性において、
「よくなりたい」、「治りたい」という感情をどのように共有し展開していくかが大切で、
認知神経リハビリテーションにはそのヒントがあると私は思っています。
北海道認知神経リハビリテーション研究会
会長 木賊 弘明